"Art of the In-Between"というタイトルが示す通り、しばしば対極とされているもの(自/他、存在/不在、事実/フィクション、戦争/平和等)をペアにしたテーマごと6〜7着の服がグループ別に、真っ白いギャラリーのような、青山のコムのショップも少し彷彿とさせる空間に展示されている。服はどれも強烈で、飾られているというよりもそこに「立っている」ような気配すらした。
日本特有の「間」や「無」等についてもパンフレットに説明があり、一昔前ならよほど東洋の文化や精神世界に興味のある極少数の欧米人以外には理解される事もなかったであろうコンセプトを題材に、かのメトロポリタン美術館で日本人の創作が展示されるようになったのは感慨深い。
ただ、結局「二極の中間」という表現でしか理解を得られないのは残念な気もする。二つの相反するものが一つのもの(人)の中に同時に存在すること、「間」は英語の"void"や単なる"space"ではなく「間」として存在することを日本人と同じ感覚で欧米人が理解するのには、まだまだ時間がかかるのかもしれない。しかし英語の構造や語彙を考えると、このタイトルは絶妙とも言えるし、日本文化に疎い人々が無形の日本的なコンセプトを理解するのには良いとっかかりになるに違いない。
日本のことばかり話したが、川久保玲の服はとても西洋的、いや西洋そのものだ。彼女のクリエーションはあくまでも「洋服」である。が、その洋服は東洋の精神と美意識を内包している。欧米のデザイナーが「日本」を取り入れる時、それはただ日本のデザインの表層をなぞったものに過ぎない。本質は「洋服」でそこに日本的な合わせの要素や着物風の柄を取り入れるのである。それは彼らは強固な「個」を持っており、それは他文化に触れたからといって、中々ゆるぐようなものでないのだ。しかし、日本人の精神構造は欧米人のそれとは違う。川久保は自分の中に西洋と東洋を同時に存在させることができ、これらはそれゆえに生まれたクリエーションだと思う。西洋の要素がベースになければ、NYのメットでの展示などは実現しなかったであろう。その東西の要素が並列にある融通無礙な表現は西洋人にはできない事で、それが異様でもあり、きっと見るものを惹きつけるのだ。
英語での論理的な説明も手伝って、川久保はこちらではコンセプチュアルなデザイナーという評判が主流だが、実際に見てとても感覚的な仕事だと個人的には思った。洋服の形に深い理解のある彼女だからこその遊び心が見え隠れしていた。そんな詩的な部分も感じ取っている欧米のジャーナリストもいるようで、こんな展示が今後の欧米社会にどんな影響を与えていくのかが楽しみである。
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